予備校時代の恩師、ハセガワ先生が9月に亡くなられたことを昨日聞いた。病気ということはなんとなく分かっていたから、そう驚くこともないんだけど、なんだかちょっと呆然としてる。
先生はほんと厳しかった。
私がいつになく一生懸命描いた手のデッサンがあったんだけど、やっちゃいけないと言われていた黒バックにしちゃったから講評の時みんなの前でこれでもかというほどケチョンケチョンにされた。その場で涙出そうだったくらい怒られた。すっごい落ち込んで、もうアトリエ行きたくない!と本気で思ったんだけど、次の日シブシブ行ってみるとそのデッサンが参考作品になっていた。先生はあたしががんばったってこと見てたんだな−って。今思い出してもちょっとジワっときちゃう。
そういえば先生の部屋いっつもクーラー16℃で寒かったなー
先生はパソコン使わないからプリントはみんな切り張りだったなー
先生講評のとき鼻ほじったことあったなー
先生が朝食食べてるよこにいつもミロ(愛犬)がいたなー
先生が風邪ひいた時寝床で平面構成見てもらったな−
フィニッシュはきれいにっていつも言われたな−
小論文30点しかくれなかったなー
やっぱ先生がいなかったらあたしがんばってなかったんだろうなー
今日はそんなことばかり考えていた。
写真は先生が毎日広告デザイン賞で通産大臣賞をとった赤玉ポートワインの広告。
最近のコメント