GALLARY間で行われていた阿部仁史展/BODYに滑り込みセーフ(今日までだったので)で拝見してきました。
展示ではプレゼンというより、実物で体験するというかたちで、一階は作品の壁の一部が並べられ二階で模型とビデオという展示。人間のインターフェイス/身体と、建築の身体性/カタチがどのように対話して「場」をつくるのかという試みらしい。
作品では普段の水平垂直で均一的な建物ではもう感じなくなってしまった、カタチの意味とか、壁一枚に対する存在理由みたいなものを臭わせるような、ゆらぎ空間を作っている。なんかそのゆらぐ感覚ってのは違和感なのかな?それとも身体的なことなのかな??フリッカーを読まなくては。
今までの20世紀の近代建築から新たな動きがかなり浸透してきているみたいです。
それは次の話しにつづく、、、かな。
最近のコメント